地球温暖化だ。暖冬だ、といわれても、やはり、冬は冬である。きびしい寒波が列島を覆った。しかし、記録的な寒さにもかかわらず、春の気配が野山にしのび寄っている。ロウバイが満開である。梅のツボミもふくらみ始めている。太陽の光も明るさを加え、春の自然は氷りつく寒さを突き抜け、動き出している。もうすぐ春である。春の予感に心ははずむ。
そのような気分も、人の世の現実に破られる。茶の間のテレビに製紙会社の社長の謝罪会見が流れていた。環境ブームの中で古紙の再生利用が持てはやされてきたのだが、そこに虚偽があったという。
コピー紙や印刷用紙だけでなく、年賀ハガキまでが、古紙配合率に過大の偽装をしていた。「環境にやさしく」とリサイクルに努力しているという嘘である。いつの頃からか、環境ビジネスという言葉が登場し、環境配慮を売りものにする時代になってきた。
環境問題は利害ではない。生きる可能性に直結している。自分たちの生き方が、その可能性を傷つけることに関係する現実の問題である。紙の問題は製紙会社だけの問題ではない。私たちの生活とつながっている。
かつて、紙は文明のバロメーターと言われた。文明生活と紙の消費量との並行関係が注目されたからである。もの豊かな生活は多くの物財に支えられている。ダイレクトメールや新聞折込みの広告が物欲を煽ってきた。「使い捨ては美徳」「消費者は王様」の掛声にのって、週刊誌が普及した。もの豊かな生活は街角にゴミの山を作る。紙がその主成分である。
その紙は木材パルプから作られる。紙の消費は森林伐採につながっている。そして、日本は「世界の森喰い虫」といわれてきた。木と紙の文化を誇る日本がもの豊かな文明生活を拡大したのだ。国内の森林資源を放置して、海外からの安い木材輸入に依存して世界の緑をけずり取ってきた。豊に繁栄していた熱帯林はやせ細ってしまった。罰当たりなことである。
森林は地球の肺にたとえられる。太陽の光を利用して、炭酸ガスを有機物に変え、酸素を生み出すからである。その有機物は多くの生物の餌となって、地上の生命世界を支えるのである。私たちの食卓も、この緑のおかげで満たされている。その森林は日本では荒廃している。経済効率のあがらない林業が見捨てられている。日本は生存の基礎を食いつぶしているのだ。
苛立たしい現実にもかかわらず、自然はやさしい。ロウバイや梅だけではない。寒風に耐えて木々は春を待っている。春にのびる新芽はまだ目立ちはしないが、確実にふくらんでいる。いのちの自然に信を寄せたい。人の世に嘘はあるが、自然は裏切らない。自然を搾取する傲慢さを恥じ、随順して生きることを目指したいものである。
(『南御堂』より)