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【2008年5月号】

●荒れたままに

 若葉のかおる春である。陽ざしも高く、明るい。あざやかな緑に包まれた野山に、小鳥のさえずりが聞こえる。遠くには山バト、近くにはウグイスの声である。いのちの喜びにあふれている。

 そのような野道をたどりながらも、心は重い。周辺の田畑が荒れたままだからである。枯れたセイタカアワダチソウが目立つ畑は、昨年も耕されずに放置されていたのだろう。若い雑草の生い茂ったままの田圃では、今年の作付はどうなるのだろうか。

 休日の田園地帯には農業機械の動く音が流れる。しかし、平日の田畑に人の姿を見かけることはまれである。たまに見かける農民の顔の皺は深い。若い農業後継者がいなくなって久しく、現在、農業を生業とする農民の平均年齢は60歳を超えている。年齢分布のピークは75歳に近い。

 田植えを前にして、田圃の仕事は忙しい季節を迎えている。しかし、今年は例年と比べると、土日も心なしか淋しい感じである。田植えの準備に荒起こし、畦塗りなどが行わねばならぬのだが、その作業の済んでいない田圃が気になる。今年は米の作付が行われず放置されるのではないかと心配だ。

●喜びと誇りは

 この心配は杞憂である、と思いたいが、やはり気になる。というのも農民の稲作への意欲が激減していないか、心配なのだ。農民の高齢化に、米価の暴落が昨年は追い打ちをかけたからである。

 「農協への仮渡し価格が、1俵60`で1万円ちょっとなんだからな」と、知人の農家が語った時の暗い表情が思い出される。1反=300坪の水田で、500`の収量があったとしても、わずか10万円の手取りにしかならぬのだから、何ともならない。資材費などを差し引いたら、と思うと絶望的であろう。

 諸物価の値上がりの目立つ中、スーパーではお米は`300円ほどで売られている。ごはんの茶碗20杯分が喫茶店のコーヒー1杯より安いと、都市消費者は喜ぶのだろうか。

 子どもの頃に歌った唱歌を思い出す。「♪植えよ、植えましょ、みんなのために。米は宝だ。宝の草を。植えりゃ黄金の花が咲く」。このような喜びと誇りは何故消えたのだろうか。

 米は日本農業の柱であり、日本の食卓に欠かせない。しかし、もはや安泰ではない。農村が崩壊し、食の自給は失われる。海外への食料依存は不安定である。世界の穀物需給はすでにきびしくなっている。それを異常気象が追い打ちをかける気配である。第三世界の貧しい国では食糧デモが起こっている。飢えの故に毎年1500万人が死んでいるという。

 安い食糧を海外から買いとるのは罪である。貧しい国の貧しい人びとは食糧不足と価格暴騰に苦しんでいるからである。その罪は遠からず罰せられ、私たちも価格暴騰と食糧不足、そして飢えに悩むこととなるだろう。

(『南御堂』より)




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